「しあわせさん」

「こんにちは。」と、Yしゃんが教室にきた。私はちょっとためらいがちに、「どうした。」その後のちょっとの《間》が、とても長く感じられた後、彼女は・・・「だめだった。」・・・その言葉を言うのが精一杯だったのでしょう。突然泣き出しました。
大粒の涙が頬を流れ落ちます。きっと学校からここまでの帰り道の間、我慢をしてきたのでしょう。教室のドアを開けて、気持がふっと楽になったのでしょう。
「つらいな、思いきり悔しいな、泣いていいよ。」・・
 少しして彼女は上を向き、「絶対合格する。」はっきりと言い切りました。高校受験の推薦に漏れたのです。
 小学校2年生のときから通うYちゃんは、もう8年もの間この教室に通いつづけています。あまり目立ったところもなく、静かな時間が流れました。そして7年後、ここからの1年間、彼女に大きな変化が現れます。Yちゃんは3人姉弟の真ん中、上のお姉さんとは年子。まあ大体はなんでもかんでもお姉さんの勝利。もちろん「成績」・・・ というような学校生活を送ってきました。
 彼女は今までの時間の中で、あるひとつのものを育むことになります。「忍」です。
 毎日を地道に歩く。そのことが唯一自分にできる家族達に誇れるメッセージへとつながります。それはやがて、その後の彼女の歩き方そのものとなります。他に影響されることなく、自分のスピードで歩く、根気よく。・・・
 結果中学2年の冬、目覚めることになります。この教室での一日約8〜10時間にも及ぶ勉強、と聞けば誰でもすごいと思うはず。しかし終ってみれば「もう終わり?」というくらい物足りなさを感じる時間の流れ。自分で自分の学習内容を設定し、歩く。あるときは急ぎ足で、あるときは、じっと立ち止まり考える。全てが他からの圧力を感じない歩き方をします。やがて机に向かうことの楽しさを覚え始め、わからない問題にぶつかると、楽しみの入り混じった悔しさを感じつつ、ためらうことなく質問。なぜって、わからないことがわかったときのうれしさが楽しみなのです。
 まったくと言っていいくらいストレスのない時間の流れが、そっと彼女を包み込んでゆく。自宅へ戻っても自然と身体は机へ・・・。
 そして彼女の目の前に現れる大きな目標・・「進学」
 自分に秘められた可能性に大きな希望を持ち始めるのです。自分の「意志」がはっきりと宿りはじめ、地元ではあまり受験者のいない、となりの市の高校に目標を起きます。普通、同じ市ではないところの高校は、条件はあまりよくありません。どうしても同じ市内の受験生が優位になります。それをも恐れずその目標に向かって黙々と歩く・・・その姿に「迷い」はありません。
 その迷いのない姿に、わたしは「しあわせさん」を感じるのです。
 成功だとか失敗だとか、結果ばかり優先してしまう世の中、その生き方の過程が「成功」そのものであることを、彼女は私に教えてくれました。
 あのときの涙は、彼女の精一杯歩いている「証」だったのです。
 そして本試験終了後数日たっての夜、彼女は教室にきました。まだ合格発表でもないのにとても明るいのです。こんなにすっきりとした表情を久しぶりに見ました。私の中にあるひとつの思いが現れました。《精一杯、やるだけのことをやったんだな。結果を気にすることのない達成感の中にいるな。》
 私は思わず彼女に、「もう、迷いなんてないもんな!」「うん。」
 チャレンジして打ちのめされ、チャレンジして打ちのめされ、また立ち上がり歩く。
 自分の意志で歩くことのすばらしさ。
 彼女は「自立」への切符を自らの手で受け取ったのです。
 そして今、電話が鳴り・・・Yちゃんからです。「先生、合格してました。」・・・
 言葉がありません。またひとり、すばらしい子に出会うことができました。
 そんなYちゃんは《しあわせさん》。Yちゃんに出会えた私も《しあわせさん》。
 そんな彼女は今年、Campのスタッフとして働いてくれました。《かまど炊飯させたらNo,1》の座をみごとにやってのけました。わたしとキャッチボールをしてくれました。楽しそうに・・・? バッティングはちょっと下手だったかな?
 高校生活が楽しい楽しいと言ってましたね。よかったね、きっとこの先も、もっともっとたくさんの《しあわせ》を受け取ってくださいね『しあわせさん』、願っています。

 心から『ありがとう』。